伊丹家の系譜
▶ご挨拶

釜利谷伊丹550年の歴史を礎に。次なる100年へ。こころざしを未来へつなぐ。 一般財団法人 伊丹エール財団は多くの期待を担い2021(令和3)年5月13日に設立しました。横浜・金沢の歴史・風土・環境を活かした共生・創造の […]

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かなざわの人物
釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史 <その10 手子神社創建> 

 手子神社の創建について考えてみます。当初、釜利谷笹下道路バス停「宮が谷」(釜利谷東4丁目)に近い民家の裏山*27、竹林の平場にあったと伝えられています。江戸時代初期の延宝7年(1679)4月、伊丹氏出身の浅草寺智楽院別 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史 <その9 続・謎の浄願寺から龍華寺へ>

 なぜ龍華寺の涅槃図が法雲寺に伝わったのか。それは永禄4年(1561)3月~閏3月、上杉謙信*26が北条氏の小田原城を攻めた際、上杉の軍勢が鎌倉近辺で多数の寺社に乱暴狼藉を働き、什宝を略奪して去りました。龍華寺もこの時奪 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史 <その8 謎の浄願寺から龍華寺へ>

 洲崎に真言宗御室派の知足山龍華寺*22があります。源頼朝ゆかりの浄願寺と光徳寺の名跡を併合して、明応8年(1499)光徳寺最後の住持融辨が建立しました。『金沢龍源寺略縁起』*23によれば、浄願寺の場所は「六連の山中」に […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史 <その7 左京亮釜利谷へ>

 バス停小泉(コズミ)、宮川に架かる宮下橋・宮川橋の近くに、釜利谷の総鎮守手子神社(古くは手子明神)が鎮座。現在地に移転再建された江戸時代初期の棟札に「文明5年・伊丹左京亮」と記されています。これによって郷土史の本など […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史 <その6 伊丹左京亮関東下向>

 『浅草寺志』*14の「伊丹氏系図」に、因幡守頼與の三男が左京亮経貞とあり、釜利谷に移り住んだとしています。頼與(頼与)は『寛政重修諸家譜』にある頼興が正しいと思います。次に経貞の諱(実名)に違和感を覚えます。前近代では […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その5 江戸時代の大名伊丹氏>

 親興の子因幡守永親は、その後羽柴秀頼・徳川秀忠に仕えたと言われています。一方伊丹城落城のとき5~6歳であった康直(元扶の子)は、伊勢・上野を流浪し、永禄元年(1558)駿河国(静岡県)に至り、権阿弥(ゴンアミ)・津阿 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その4 室町時代の摂津伊丹氏>

 伊丹氏は摂津国伊丹(兵庫県伊丹市)の豪族でした。『寛政重修諸家譜』(1812年完成)によりますと、景佐(カゲスケ)*8の次男兵庫頭景親(ヒョウゴノカミ カゲチカ)が、摂津国河辺郡伊丹荘に住み伊丹と名乗ったことが始 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その3 藤原鎌足の子孫>

   伊丹氏のことは、史料が少なく伝承の食い違いなど不明なことが多々あります。限られた諸史料・諸文献に頼って、明らかにしていきたいと思います。  伊丹氏は、藤原氏北家房前(フササキ)魚名(ウオナ)流の家系です。すなわち藤 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その2 釜利谷・六浦> 

 釜利谷の地名が最初に古文書に登場するのは、嘉元3年(1305)4月「瀬戸橋造営棟別銭注文案 (略) 一貫三百十文蒲(里)谷分」です。  「釜」という漢字と鎌倉時代から鍛冶匠が居住していたという伝承から、鉄器の生産にちな […]

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